Mr.HOBO
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500円の食パンと青春の影。
 最近500円もする食パンを買ってきて食べてるんですが、なんか
美味しいですねやっぱり。しっかりとしているというかコシがあるという
か、なんでもいい母さんも、「ああ、これは美味しいねえ」と言って
います。たまにコンビニで120円の食パンを買ってきてだまそうとしても、
「これはあの500円の食パンでないねえ」といってだまされないのです。
なぜなんでしょう?材料なんでしょうか?
誰か教えてちょうだい。



 それともうひとつ。
財津サンの〈青春の影〉という歌がありますが、誰かこの歌詞の意味を
教えてちょうだい。1番と2番、サビ、ちょっと解らないんですよ、意味が。
いい歌で6月のライブで演ろうと思ってるんですがね、意味が解らんとデス。
ぼくが病院から出てくるまでに誰か教えてちょうだい。
ヒトにモノを教えてもらう態度ではないとけちょんけちょんであります。


HOBO
コメント
この記事へのコメント
春とは思えない冬の嵐でした~ 「青春の影」は私にとっては思い出の曲 昔昔 元彼がギター一本で聴かせてくれ…涙が止まらず嬉しくも寂しくも、ある曲でした
あのサビは…それぞれの道を歩いて行く別れの「ただの女ただの男」なんじゃないでしょうか? 愛しあって好きだけど好きだけでは一緒に生きて行けない…切ない別れのサビだと私は解釈しています。 まるで私の「青春の影」です~
2012/03/26(月) 17:36:46 | URL | 雪女 #-[ 編集]
雪女さん
おはようございます。
ぼくは詩の解釈については突き詰めるほうなんですよ。
でもこの〈青春の影〉についてはよくわからないのです。
1番と2番の意味がつじつまが合わないんですよ。
そこが知りたいんです。
じつはぼくにはぼくのある解釈があるんですがね、そこまで財津サンが
考えて書いたようにはどうも思えないんですね、過去の作品をみてますと
とても直線的な表現をするひとなので。
1番ー2番ーサビの繰り返し、どういう解釈で唄うと響くのかなあ。

HOBO
2012/03/27(火) 10:05:13 | URL | Mr.HOBO #-[ 編集]
わ~、雪女さん、いい思い出ですねえ!
あ、すみません、突然横レス入れたりして。だって、そんなすてきな思い出、
聞かせていただいたんですもの♪
いいないいなあ、その思い出♪

う~ん。私の素直な印象は、ですね。
いろいろ曲折のあった男女が、ついに結ばれる、という感じ、でした。
私、この曲、無論知ってはいたけれど、歌詞のことそう意識してなかったんです。
だから、割合白紙状態で今回聴いた印象では、そうでした。
印象ではそうでしたが、一応歌の時代背景なども調べてみました~。
するとこの歌、2様の解釈があるらしいですね!^^
雪女さんがお受け取りになられたように、恋人同士がやがて大人になって
それぞれの道を見つけ別れていく…という解釈と、いろいろ紆余曲折
のあった男女が結ばれるという私が受けた印象のような解釈と。
ちゃんとこれに関するチャットのようなものがあって、両意見が披歴されている。
…どっちが正しいか、なんて歌の解釈には存在しなくて、
本当は、歌詞を書いたた本人が意図したところはあるのでしょうが、
歌は、聴いたひとが自分の聴きたいように解釈すればそれでいいのでしょう…
文学作品も、歌詞も絵画も、いったん作者の手を離れてしまえば、あとは
受け取り手の想いによっていろいろに解釈されるものですものね。^^
だからこの歌も、HOBOさんの解釈でお歌いになられたら?と思います♪^^
…当然のことですよね?(笑)

でもまあ、折角のお尋ねですから、一応その最初の印象に加え、ちょっと
時代など調べてみました。
1974年というと、私が26歳。まあ、青春が終わって大人になる、
というちょうどこの歌の時期とぴったり重なっていますね。
この歌の時代をリアルで経験していた者としてはですね(笑)、
このわずか前に、学生運動というものが壊滅するのを直接体験する、
あるいは目撃するという、せつない経験をしているわけなんです。
その数年前に一挙に盛り上がったベトナム戦争や日米安保改定反対する学生運動
(全共闘運動)は、この歌の5年前の1969年、東大安田講堂での学生と機動隊の
激しい攻防戦を頂点として、1972年、この歌の1年前ですね、
浅間山荘事件で悲惨かつ悲しい終焉を迎えました。
財津さんは音楽一筋。チューリップの活動そのものが青春だったと
おっしゃってらして、学生運動との関係はありません。…ありませんが、
私は彼より年は一つ上ですが学年は同じなんですよ。
その同じ時代を生きた者の感覚として、私も学生運動に加わっては
いなかったですが、彼らが激しく時の権力と生命を賭して戦うのを見て、
こころが震えるような共感は抱いていたわけです。
そして彼らの挫折は自分の挫折のように悲しかった…そういう時代です。
学生運動がそうやって終焉して、活動家も含め多くの学生は、企業に
就職していきました…。その頃の感覚はユーミンの『いちご白書をもう一度』
などに凄くよく出ていますね。
男は大学を出ると、人生のために社会に否応なくとりこまれていくんですよ。
女は学生運動の幻影をもう少し引きずります。
若いオオカミのような青年に恋して魅かれていたんですからね。
それが、鋭いあの眼差しと牙を失っていく…
そこでたくさんの別れは生まれたんじゃないでしょうか…
1974年というと、そういう青年たちが、大人の男に変わっていかざるを
得なくなって、企業人になって数年経った時代ですね…若さはもう…ない。

しかし、こういう、歌の生まれた時代背景を考えずとも、
青年が社会人になる…少女が大人の女になる…というのが、年齢で言うと
26~28歳くらいなんですね。
若さの無鉄砲さはもうない。同時に恋のありようも変質します。
先のことなど考えない、若い体と体をぶつけ合うような激しい恋の時代は
終わりを迎えて、ひととひととしてのしみじみとした愛の時代に入っていくんじゃないかな。
でも、そうやって。自分にはこのひとがいる…というしみじみした愛情を
見つける前に、やはり青春時代の最後のあがき、と言いますか、
若さを脱ぎ捨てる苦しみの時代が少しあるんです。
それが大学卒業から、つまり22歳から25,6歳までのころ…。
若者も少女も、大人になるために、いったん恋を捨てる…そして、
自分が自分であること、というセルフアイデンテティを求めて
それぞれの道を模索するんですね…
それはある意味、新しい生の発見を希求する希望の時代でもあるんですが、
…人生そううまくはいきませんよね。現実というものにあちこちでぶつかることになる…

…それが『青春の影』の時代だと私は思っています。
青年はね、20歳くらいの時は髭もまだそう濃くなくてつるっとした肌を
してるんですよ。でも、26歳くらいになると髭そのものが濃くなるんですね。
すると、髭の剃り後が青く見えるようになるんです。
その時代を過ぎて35くらいになると、肌そのものが荒れてどす黒くなっていって、
髭の剃り後はもうあまり青く見えるひとは少なくなります。
私は、この、26~29歳くらいまでの男を一番美しいと思いますねえ…
前のブログでも書いたことあるかな。
プロコルハルムの『青い影』(1967年)とか聴くと、私はこの年齢の男を
思います。歌詞はちょっと関係ないですけれどね。でもこの歌も青春後期の
退嬰を思わせる歌詞かな。
女は25,6歳というと、そろそろまわりが結婚し出して、子供が出来る
ものもいる。そうした中で例えば学生運動の幻影を引きずっていたり、
『自分』を探そうと頑張っている女は、やはりつらい時期なんですね。
もう『清らかな少女』じゃない…。

さて。この歌ですが、そうした『青春の影』を経験してきた男と女が、
再び出会う。お互いにいくつかの恋や挫折や、焦燥やそれから、『名』や、
いろんなものを経験し身にまとって。
そこで、もしもう一度恋が再燃するとしたら、それは明らかに、
若い時の直線的な激情ではないんですね。
あの頃の恋のような激しさはない。
そうしてお互いの感情も、もっとずっと複雑でややこしくなっています。
でも、それを乗り越えて、『自分にはこの人しかいない!』という静かな愛に
気づいたとき、二人は新たな道へのドアを開けます。
無論、いったん社会でいろんなものを身にまとってしまった二人が
再び結びつくまでには曲折もあるんです。
一方に配偶者や子供やがいるかもしれないし、バツイチになってるのかも
しれないし、仕事で大きな責任を負うているかもしれない…

でも、もう一度人生を共に歩こうと、そうしたふたりが決めたなら。
それはもう、『ただの男と女』になるんですね。
『ただの』というのは、否定的なニュアンスの言葉ではないと私はとっています。
『世間的な縛りとか、見栄とか、お互いの過去に対する拘泥とか、
そうしたものをすべて捨て去って、おとことおんなが魂で結ばれる
…素の裸と裸で、やさしく結ばれるのです……『ただの男』『ただの女』になって……。 

…これはそんな歌なんじゃないかなあ。

ふふふ。でもこれは飽くまで彼岸花さんの解釈ですからね。
ふ~!よく語った~~~!!!(爆笑)
それぞれのひとがそれぞれにこの歌に想いを籠めていいんだと思うなあ。
歌ってそういうものですよね。
どれが正しい解釈か、なんて、正解なんてない。

どうか。HOBOさんは、HOBOさんの解釈でお歌いになられてください♪

木曜日。ご入院ですか。
お帰りお待ちしております。

2012/03/27(火) 13:37:51 | URL | 彼岸花さん #bKDOO.Zg[ 編集]
どこの小麦を使っているのでしょう?きっとその差です。
BeatlesのThe Long and Winding Roadでは作者のポール本人は、「レイチャールズを想定しながら作った」と言ってますが、実は解散直前のジョンレノンに向けた曲なのだそうです。「僕をおいて行かないで」と言う曲ですが、この曲に感銘を受けて財津さんが作ったそうです。たしかに1番2番で状況がガラッと変わってますね。最後は別れてしまう歌ですが、解釈をストレートに捉えて結婚式で選曲する人もいるようです。しかし彼岸花さんの言うとおり2通りの解釈があるようですね。「3,4とあったらもっといいのにな」と思う、店長でした。
2012/03/27(火) 13:41:53 | URL | けちょんけちょん店長 #CMLEZhUY[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2012/03/29(木) 07:31:53 | | #[ 編集]
こんばんは
HOBOさん

入院前にコメントしたかったのですが、
今日は木曜日・・、間に合わなかったですね。
きとおときっと手術も上手くいって
元気で戻ってくることを心から祈っています。
頑張れ!HOBOさん・・
2012/03/29(木) 20:12:57 | URL | しげちゃん #-[ 編集]
しげちゃん HOBOさんの病気は何ですか?手術って…大変な病気ですか? 気になって心配で~教えて下さい。
2012/03/30(金) 20:07:09 | URL | 雪女 #-[ 編集]
55歳の男性です。この曲は大好きな歌で、カラオケでいつも歌っております。
自分なりの解釈を記載させていただきますが、私は当然のことですが歌詞というのは、作る方の意図とはあっても、読む側の解釈が本質的な評価になると考えています。ですから、異なる解釈をされる方がおられることは重々承知していますが、私がこの詩を唄って感じたことは、1番にある「君の心に続く道」と3番の歌詞にある「君の家に続くあの道」のことです。これは「あの道」という以上、同じ道なのでしょうが、1番では君の心があった場所に、3番であえて「君の家に続く道」としているということは、もうその場所には君の心はない、抜け殻の場所であるとの読み方ができます。たぶん、それが理由でただの男とただの女にならざる得ない、(別れたという意味でしょうか)のだと感じましたが、もしそうならば「あの道」を「踏みしめ」ている方向は逆方向(君の家へ背を向けている)ということになるわけです。ということで、別れの歌というのが妥当ではないでしょうか。
2012/08/23(木) 22:25:23 | URL | アラジン #-[ 編集]
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