Mr.HOBO
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肩を組みたいと思うひと。
 けして熱くなることのない人にエールなど贈る必要はないのだと思った
のです。少なくともぼくはいつも熱いし、アンテナはいつもまっすぐに立
ち、萎えることなどないのです。それがぼくの生き方であるということ、
成長を望まない人に成り下がることなどないのです。だから熱くなれない
人とは肩は組めないということになります。

 むかしぼくは酔った勢いで友人に肩を組まれたことがあります。瞬間、
それを拒んだぼくがいたのです。かれのことをキライだったわけではない
のですが、ぼく自身が熱くなれていなかったのだと思います。どちらかと
いうと今までのぼくは、キライな人と肩を組むふりをしてきたのかなと思
うのです。きっとそうでした。キライな人とでも肩を組むふりをしないと
孤立し、仕事がしにくくなるからです。「仲間がいたからぼくがいた」と
名台詞を残した野球人がいましたが、かれの目はいつも笑っていなかった
ように記憶します。ぼくは仲間に恵まれているほうだと思いますが、けし
てロマンティックな世界には生きたことがありません。「仲間がいたから
ぼくがいた」という言葉の裏にあるものをぼくはかれの目に見るのです。
ぼくの会社にも自分さえ良ければいいという人がいました。そのひとも、
いつも「みんなのおかげです!」と口癖のように。でも、目はいつも笑う
ことがなく、笑っているように思わせる技量はそこそこ、しかし、ぼくを
だますことはできないのです。楽しそうにはしゃぐ仲間たちの真ん中で、
けしてこころから笑わないヒーローがいる。ロマンティックな目をもつか
れはたぶん通用しないと思う。プロでは。

 けして、誰のことを言っているのではありません。熱い人の目はきょろ
きょろしないということです。ほんとうに肩を組みたいと思うひとが、
『仲間』なんだと思うのです。


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