Mr.HOBO
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
少年HOBOの悩み事。
 ファミレスなどで「ご注文の品は全部そろいましたでしょうか?」と
訊かれたことはないだろうか?オレ、いつも思うんですが、それって変
だと思いません?どうして客に訊くんでしょうね?訊きたいのはオレの
ほうだっちゅうの!「これで全部そろったんですか?」って。いちいち
メニューの写真と見比べて、これが来てる、これもこれも来た、そして
これも来てるな、あっ、けっこうです、確かに全部そろってますね。っ
て言えばいいんですかね?変ですよね。絶対変だ!
 
 歳をとったんだと思いますね。ささいなことで怒っている自分。昔、
オレが少年の頃、近所の頑固で偏屈なおじさんを見て、母は「あのおじ
さん変な人だからかまわないほうがいいよ」と言った。「ふ~ん」とか
言ったオレだったが、オレがいまそんなオヤジになっているのです。


HOBO
スポンサーサイト
偏屈という小心者。
 わたしは偏屈である。それもただの偏屈ではない。筋金入りの大偏屈
野郎である。みんなが好むものは決して好まず、一日に玄米四合と少しの
野菜を、あっ、ちがうか!わたしは宮沢賢治ではない。わたしはMr.HOBO
である。

 「ちぇっ!」と舌打ちをしてオールスターを観ているわたしの横で母は
わたしの横顔を不思議そうに眺めている。わたしが斉藤佑樹投手のことを
褒めまくる解説の桑田とノムさんのことをコケおろし、文句ばかり言ってい
るので、「どうしてそんなに斉藤佑樹がキライなの?」と母が言う。
「こじんまりしすぎるんだよ、若いのに。公務員みたいな面白くない投手
だ。マー君や沢村のほうが観てて楽しい。老人みたいだわ、斉藤。」
と、こんな具合の会話がつづく。
  わたしは甲子園でマー君と斉藤が投げ合ったとき斉藤の勇姿を観て鳥肌
をたてたファンのひとりだった。投げても投げても落ちない球威、低い
投球フォーム。誰もがあきらかにマー君よりも斉藤のほうが上だと思ったに
ちがいない。そこにむきだしの闘志が見えたからだ。ひたむきだが根性のあ
る男だとわたしはシビレてしまった。あまりにも騒がれすぎたからなのかも
知れないが、いまの彼は優等生すぎてオモロくない。シビレないのだ。
 わたしは偏屈だ。そんな彼を賛辞する桑田とノムさんが大嫌いになった。
よく桑田投手と斉藤佑樹投手は似ているなどと言われるようだがわたしは
全然ちがうと思う。わたしは桑田真澄投手の大ファンだったから、あんな
ハンカチ野郎と一緒にされたら困っちゃう。現役の桑田投手はYGマークの
帽子が横をむくぐらい力強く重心の低い真っすぐの早い本格派投手だったの
だ。斉藤といえば突っ立って投げているように見え、全力で投げているのか
いないのかのらりくらり、肩を壊して投げ方を変えたような引退まじかの
ピッチャーみたいだ。北海道札幌人でありながら、わたしがこんなことを
言うと刺されそうだが、かれには高校時代のようなガムシャラさがほしい。
わたしは斉藤佑樹がキライなわけではない。偏屈なだけ。皆が騒げば騒ぐ
ほどキライになる。困ったもんだと思う。

 男はやられるとわかっていても行かなければならない時があるのだ。
真っすぐを狙っているバッターには真っすぐで勝負してほしい。かわして
かわしてモノにした勝利、プロだから勝ちにこだわるのは当然なのかもしれ
ない。でもプロだからこそそこにこだわってほしい気持ちもある。いまから
十年二十年、斉藤と沢村、どっちが大投手になっているか?楽しみでしょうが
ない。もう一度言っておくが、わたしは斉藤佑樹投手のことをキライなわけ
ではない。ただ、偏屈なだけ。お願いだから刺さないでほしい。刺さないで
ほしいのだ!


HOBO
なでしこ澤選手は山ん婆か?
 「山ん婆みたいだね」と記者会見で喋る澤選手を見て誰かが言った。
髪型というのはむずかしくて、似合うか似合わないは好きずきだから、
まあ、澤選手のヘアースタイルも賛否両論。おれは似合ってると思うな。
とても素敵だと思う。まあ、おれは変人だから50歳にもなって坊主頭
だもの、似合うとか似合わないなんて関係ない。どれだけ堂々としていら
れるかだと思うよ。おれはその人が自信を持ってやることに対して憧れに
ちかい心地よさを覚えるんだ。だからおれはジーンズにシャツを着てネク
タイをする。ときにはそれに野球帽をかぶることだってある。要するに
いかに堂々と当たり前に振る舞うことができるのか。おれのキャラとい
うのもあるのかと思うが、澤選手はカッコいいと思うな。髪を後ろで束ね
てニカっと笑うと、まるできかん坊のようだもの。あの厚いゴワッとした
牧草のような髪はある意味、ブルースというか、あれにGIBSONの335
かなんかを少し高い位置に持たせたらブルースメンかレゲィマンのよう
に見えなくもない。彼女はカッコいいよ、目も細いし美人じゃないが、
オーラがあるものね。あの髪型は正解だ。評判のよろしいヘアースタイル
なんてオモロくない。「えっ?」っていう感じを目指してほしいな。
個性的であること、堂々としていること、当たり前のように振る舞える
こと。内面の自信がさせる野暮ったさならGOODだと思うな。


 先日、おれのマンションの前で犬にウンコをさせているオバサンがい
た。当然後始末をするものだと思ってみていたらそのまま置いて行くじゃ
ねぇか!『札幌中の島置きグソ事件』。アンビリバボーだぜ!ったく。
おれはオバサンを追いかけヤキいれてやろうかと思ったが、あまりにも
堂々と置き去りにされたウンコを見ていたら、なんかホレボレとして、
「やってくれるじゃねぇの!」ってな感じで、それはそれなりに澤選手
のように、堂々としていて十分個性的な行為であり、当たり前のように
振る舞うそのオバサンは本物の山ん婆のようにも見え。


HOBO
ひとりぽっちの朝は。
どんなことがあっても唄っていたいと思う。
ぼくには唄いたいと思う出来事がたくさんある。
それは、とても優しくとても熱く、ときにはとても怒っている。
泣いたり笑ったりの毎日をしたためたノートがある。

少し長い旅がしたいな。
ギターを車に積んで、ジーンズの裾を折り曲げて。
ああ!ぼくはずっとひとりでいるのかな?

この曲が大好きだった。




夢は健康という条件つきだ!
 こんなブログをやっていたり歌を唄ったりする僕なので、色んな人から
「好きなことが出来るあなたが羨ましい」と言われることがある。好きな
ことをやれる人のことを『夢のあるひと』と思っている方もけっこういる
ようだ。今この記事を書いているときも地震があり、けっこう長くゆれた
。また『あの日』のことを思い出してしまった。一度きりの人生なんだと
思えば思うほど、やはり好きなことをやらねばと思う。

 自由でありたいと常に考えているHOBOだが、僕ほど自由のきかない人
生を送ってきた男はいるのだろうか?じつはHOBO、それぐらい頑張って
働いてきたのだ。休みなどまったくとれないライフが当たり前だと思って
いたし、本業の他に新聞配達やタクシーの洗車などトリプルワークスタイ
ルを十年も続けた時期もある。僕はそんな暮らしの底辺から見る空の色が
好きだったし、自由とは不自由の中から見いだす尊いものなんだと学ぶこ
ともできた。『夢』はそんな浮き足立ったものではない。現実の上に立つ
計画性にとんだものでなくてはならないのだ。そのためにみんな努力する
し、努力もせず夢を語るひとほど醜い者はない、そして努力もせずそれを
羨ましがるひとはもっとアサハカだと思う。

 僕の主治医が癌になった。医者の不摂生というのか、だんだん顔が黒ず
んでくる先生の腕はとても細い。でも優しい目は更に優しく、「先生、他
人の身体を心配してるどころじゃねぇだろうが!」と僕は言ってやった。
どうしてそんなに優しくなれるのだろう?僕も命が細くなればもっと優し
くなれるのかな?そんなことを考えていると眠れなくなり、朝になった。
人は自分の弱さから嘘をついたり、いや、人じゃないな、僕は、だ。僕は
嘘をついたり無責任なことを言ったりしてけっこう他人を傷つけたことも
多かったように思う。『こころ』というものを少しではあるが意識できる
ようになったのはホントここ最近だと言っていい。精一杯やってきた。僕
は僕になるために自分にだけは嘘をつくのはやめようと思う。そうすれば
きっとこの顔の黒い腕の細い先生のような優しい目になれるのかなと思う。
でも、死んじまったら駄目だ!先生!

 歳をとるにつれ身軽になるべきだが、HOBO、体重10Kg増。じつは太
っていてもさっそうと歩くHOBOであったが、このごろ自分の歩く姿を街
のショウウインドーに見たがまるでアヒルのようだった。腹だけが先を急
ぐみたいな、ちょこちょこちょこちょこ歩く旭山動物園のペンギンのよう
にも見えた。仕事仲間からはジャイアンと言われ、僕は汗を拭きながら昨
日も帯広で仕事をしてきた。授業の予習のしかたを生徒に説明していても
胸のあたりがボコボコいって死んでしまうのではと思ったぐらいだ。腹の
出かたについては高校時代はGONに一歩リードを許していたが、今は僕の
右に出る者はいないだろう。まるでオベーションのようなラウンド。美し
い曲線美。ぶよぶよしない典型的な内蔵脂肪タイプである。もしも僕の夢
を喰ってしまう悪魔がいるとしたらこの美しいラウンドだろうな。以前、
僕はドブのようなニオイのする青汁にトライした。さすがにドブには挫折
した。僕にもしもお嫁さんがいて食事の管理や運動の管理をしてくれたら
ぼくはブヒブヒとかいって甘える依存症になること間違い無し。「自己管
理のできない人間にだけはなるなよ!」と帯広の生徒に言ってきた。自学
自習こそが人生の基礎になる!なんてね。 笑っちゃうだろう? HOBO
さん、あなたに人生をを語る資格無し。

 ハゲチャビンエーワンシーだかが8もある僕ですから合併症との友情、
絆は太くなるばかり。冗談じゃねぇぞ、おい!夢はどうするっちゅうの?
身体が資本だ。シホンケーキではない。夢=健康といってもいいな。僕の
顔が黒くなって、腕とか足も細くなって、ギターを弾く気力すらなくなっ
たらどうしよう?今なら間に合う、間に合うぞHOBO! いや~、だけど
、ぼ、ぼ、 僕は、お、お、おにぎりがす、す、好きなんだな。


HOBO
生きるっていい。
おれ、帯広に行ってきます。
みんなの期待をしょって行きますわ。
仕事ができるんだと思うとふるえるぐらい嬉しい。
小躍りするこころを抑えきれませんね。

生きるっていい。
明日もあさっても生きるっていい。


HOBO
言葉たちと暮らすぼくには
 帯広でライブに参加してからちょうど1週間がたった。日常に戻る
ということはとても簡単だが淋しさも強烈、「音楽はずっとやめないで
やろうな!」と、日曜の深夜、親友GON、AKKIと杯をかわしてきた。
ずっと変わらず夢を語れるような友人を持つぼくは幸福だと思う。友と
してふさわしい人間にならねばと、また日曜の朝にこの記事を書いてい
る。ぼくはブログにぶら下がっているわけではない。このブログの成長
がぼくの自身の生き様というか、決して嘘の無いこの場所を忘れないで
ほしい。ぼくの暮らしはまたジプシーのように、7月はとても忙しくな
る。もしもどこかの街でぼくを見かけることがあったら少しだけ手を振
ってほしい。少したれ目のボストンをかけて汗を拭きながら急ぎ足で歩
いているだろう。ぼくは君と出会うために旅をするのかも知れないな。

『ノスタルジックコンサート』というオムニバスライブには三度出演さ
せていただいた。GONのバンドのマスターが主催するこのライブは地元
帯広だけでなく札幌あたりからも観にいくファンもいるほど、この企画
は意味のあるものになっている。商売でもなんでもそうだが、何年も続
けることは難しい。継続は力。ぼくらも成長し、聴くひとの耳も成長す
るだろう。「ノスタルジックコンサート札幌はどうなん?」とそんな話
も打ち上げの場所で出たが、できたらいいなと思う。冬の札幌で、夏と
はちがう心に衣を着せることができるのだ。『ノスタルジックコンサー
ト•夏』『ノスタルジックコンサート•冬』みたいな。

  誰かの歌に触れてみたいと思う。それは『歌』そのものにではなく、
誰かの唄う歌に。誰がどう表現したのか、その歌の未来について話し合
いたいのだ。ぼくはそんな打ち上げに参加したいと願う。誰が唄っても
同じ歌ならいらないな。歌は誰かの情熱によって生き返るのだから。

 入院していたぼくの愛器、GIBSON J-45 ブラッキーが帰ってきた。
エボニーのナットを牛骨に替えてもらうとずいぶんと叫ぶギターになっ
た。ぼくにはこのブラッキーがいちばん似合うのかもしれないな。この
ギターから生まれる歌にぼくはひとつひとつ名前をつけていく。題名の
ないぼくの歌は名前をつけられるその日を待っているのだろう。未だ見
ぬぼくの歌たちよ。ぼくはいまふるえるぐらい熱い言葉たちと暮らして
いる。もしもそれがぼくの側から離れる日がくるとしたら、


HOBO
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。