Mr.HOBO
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ロマンにまたがるということ。
 春です、バイクに乗りたくなった。いつもこの時期になるとそうだが、
ぶんぶんぶぶぶん、ぶぶぶんぶんだ。

 ぼくがHARLEY-DAVIDSONに出会い、夢中になったのは30歳を過ぎ
てから、アメリカが大好きだったからな。何台かのHARLEY-DAVIDSON
を所有したが最初からHARLEYーDAVIDSONだったわけじゃい、SR-500
がぼくの最初の愛車だ。ノーマルでかっこいい国産単コロ、SRは今でも
好きなバイクだな。なになにっぽいっていうのがHOBOいちばん嫌いでし
て、要するにアメリカンと呼ばれているバイクは最もイヤかもしれません。
アメリカンというのはアメリカ風という意味だろう、アメリカ風ではイヤ
なのです。SRはSRだけのスタイルと顔を持つ日本のバイク。イギリス風
ではあるがしっかりとした主張がある。だから今でもファンが多いのだ
ろうな。
HARLEY-DAVIDSONを真似たバイクは嫌いだ。HARLEY-DAVIDSONに
乗るということはアメリカにまたがるということ。アメリカの歴史に触
れること。ロマンにまたがるといことなのだ。

 HARLEY-DAVIDSONは壊れないのか?とよく訊かれる。壊れるのがイヤ
だから新しいHARLEY-DAVIDSONを購入するというバイカーはボクの周り
にはいない。
《結論》 HARLEY-DAVIDSONは古けれれば古いほど面白く、らしいのだ。
 故障もせず、キーを回せばエンジンがかかり、燃費もよく、早い。
そんなバイクがいいなら国産にするべきだな。ていうか、そういう人は
バイクではなく車に乗ってればいいのだ。物がたくさん積めて家族も乗っけ、
そうそう、車、車に乗るべきだ。
新しいHARLEY-DAVIDSONはダメですか?とよく訊かれる。それは好き
ZUKIですからめったなことは言えんとですよ。
《結論》 ダメです。あれに乗るならボクはバイクを下りる。カタチだけは
HARLEY-DAVIDSONに見せているがあれはアメリカンだと思う。なぜ、
あんなふうにしちまったんだろうな?理解できんとですよ。客層がぜんぜん
違うのでしょうね。なになに風で我慢できるひとはそれでいい。
割り切って乗るならノーマルで乗ったほうがいい。金をかけずにね。
新しいバイクをいじるならショベルとかパンとか、もっといくならナックル
とか、その辺に人生をかけたほうがバイカーらしい。
バイカーとは古いHARLEY-DAVIDSONに乗る人のことをいう。
えっ?その他の人は?と訊かれるかもしれないな。
《結論》 古いHARLEY-DAVIDSON以外に乗る人のことをボクはライダーと
呼んだほうがいいような気がする。

 独断と偏見に満ちた文章を書いてしまいましたが、反論はお受けいたしませ
ん。なぜなら、それは本当のことだからです。ぜひとも1200ccのショベ
ルや、デュオグライド、ナックルのころころしたあの感じを味わっていただき
たい。
それはアメリカですか?と訊かれるだろう。
《結論》 そうなんです。
HARLEY-DAVIDSONに乗るということはアメリカにまたがるということ。
歴史に触れること。ロマンにまたがるということなのだ。

《結論》古いHARLEY-DAVIDSONは素晴らしい!


HOBO
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感謝できんならやめちまえ!
 なんて無愛想な店だ。そんなに面白くないなら閉めてしまえばいいのに。
まったく信じられないカレー屋だったな。アンビリバボーだぜ、ったく。
士別に行ってきたんすよ、おれ、仕事でね。前から気になっていたカレー屋
があってね。行ってみようかな~なんて思って。行きましたよ。なんかいや
な予感っていうんですか?ズ~んとくるような空気。入り口に入ったときわ
かりましたよ。いやな店だって。

 まず、店が汚い。だらしない。臭い。カレー臭ですか?いや、ちがう。心
をもてあそぶような、なんか脅迫めいた雰囲気をかもしだす。ここまで心を
粉々にするカレー屋は札幌にはない。かつてポールタウンにあった伝説の店
『バンバン』も無愛想だったが、ここはおそらくギネスに載るんじゃねぇの
かと思うほど超無愛想な店、おれは見たことない。珍しい経営感覚。これで
も成り立つ商売、尊敬に値する。素晴らしいと思う。
 まず、おれはこの店の人と一言も口をきかなかった。注文はシーフードカ
レー。もちろん、「いらっしゃいませ」なんて言わない。「シーフードね」
と言っても店員は返事もしない。おれは「はいぃ?」って感じで店員の顔を
見ても不機嫌そうにきびすを返す。「おい!聞いてるのか?おまえ!」と言
ってやろうかなと思ったが、もしかしたらここは伝説の店で、味で勝負する
店なのかもしれないのでHOBO我慢。しかし30分も待たせやがって、シーフ
ード?これ、イカが一切れとなんかの貝が2個。うっそ~!《5時までにカ
レーを注文したお客様にはサラダとコーヒーがつきます》なんて書いてある
のを発見。時計を見たら5時30分。30分待ったので注文した時刻はきっ
と5時前かもしれない!おれは「サラダとコーヒーはつくんですか~?」と
店員に訊いてみた。店員、おそらくここの店主だと思うが手をクロスして、
「ダメぇ~!」壁の時計を指さして。なんて意地の悪い顔。モアイ像みたい
な。おめぇは口がきけんのか!ったく不愉快な店だ。最悪だ。最低。
 きっとこの店主は身体障害者かなんかでそれでも頑張るのがこの店の売り
なんだなとおれは本気で思ってしまいましたよ。「きっとそうなんだ!」と。

 おれは会計を済ませ階段を降りて駐車場に向かった。会社に電話しようと
上着のポケットに手をやると、「ない!」。携帯を忘れたことに気づいた
HOBO、急いでカレーショップに逆もどり。店の扉を開けると、中でモアイと
コックがタバコを吸いながらゲラゲラ笑ってやがる!な~んだしゃべるんじ
ゃねぇかよ!

 どうなんだろうね?感謝の気持ちっていうんですかね?モアイが商売を始
めたとき、初めてのお客が来たときもそうだったのかな?と思いますよ。う
れしくてね、普通は心から感謝の気持ちを伝えますよ。ね?だと思いません?
気持ちは態度や言葉に出ますからねぇ。忘れてしまったんでしょうね、初心。
モアイ様。何様。ホント、やめてしまえばいいのに。大きなお世話でごめん
なさい。でも、言わせてもらいますわ。

「感謝できんならやめちまえ!」

アホっ!


HOBO
そうか!もう春だったな。
 なんか早いもんで、2011年が始まってからもう4ヶ月が過ぎようと
している。ボク自身も今月誕生日だから人に言いたくない年齢になっちま
うな。1年ってこんなに早かったかなぁ?小学生のころなんか1年がすご
く長くて6年間がとてつもなく長く感じたもの。中学も。ん~、なんか大
丈夫かな~、このままでいいのかな~、と思いながら今回地震が来たり、
仕事に追われて余裕がまったくない。時間が足りない。それはきっと、い
つのまにか人生の逆算というか、あと何年しか生きられないという焦りみ
たいなものがあるのかなあ?と考えたり。

 きのう仕事で滝川市まで行ってきた。遅い時間まで生徒さんの父母と話
した。生徒さんは居間の長椅子の上で健気な顔で眠っていた。子供想いの
立派な父母。「まだ寒いですねぇ~」と父母は玄関まで送ってくれた。
ボクは4月なのにダッフルコートを着ていることに気づく。トグルを全部
とめなければ寒い4月の夜。「高速を使わないで下でいこう!」と思った。
国道12号線の道沿いにはところどころ桜の木があったはず。真夜中の桜
もあったもんじゃないが、きっともうすぐ咲くのだろうなあ。「あっ、そ
うか!もう春なんだな?」と、季節感に鈍感なHOBO。桜とダッフルコー
ト。「なんか変なの」、と思いながら、ボクはルート12をゆっくり走る。
仙台でやられちまったボコボコのワーゲン。ボクはみょうに綺麗な桜が東
北の街に咲いているような気がした。そうあってほしいと思った。
それでもここが好き。
それでもここが好き
それでもここが好き
いつでもどこでも誰とでも
ここなら生きていけるだろう

それでもここが好き
それでもここが好き
こころが残るあの海に
いつか還っていけるだろう

それでもここが好き
それでもここが好き
大好きだったあの歌を
想い出す日が来るだろう

それでもここが好き
それでもここが好き
あの日があるから明日がある
そんな心になれるだろう

それでもここが好き
それでもここが好き
泪が溢れ出す夜は
ここに戻ってくればいい

それでもここが好き
それでもここが好き
それでもここが好き
それでもここが好き
母は強かった!
 だいぶ前に不登校の生徒さんの話を書いたが、先日その生徒さんのお母さん
から連絡がきた。じつはその生徒さんのお家は岩手県山田町、今回の災害で町
が殆どなくなってしまったところだ。ぼくは災害の1週間前にこの生徒さんの
母親とじっくり話し込んで今後の学習方針を決めた。学校に行けるようになる
ことが先決だが、学力不足を家庭学習で補いたいというその母の希望からかな
り高価な学習教材を購入していただいた。子供と一緒に自分も学習するという
母の眼を見てぼくは『大丈夫!』と、確信、握手して帰ってきた。数日後「教
材が届きました」というお礼の電話が来た次の日、2011•3•11、悪夢の
ような、あの日、災害の犠牲者となり、今も避難所でその生徒さんと過ごして
いる。

「あの~、覚えてますか?山田町の○○です。津波で家も家族もなくなっちゃっ
たのぉ」
「えっ?○○ちゃんは?」
「無事でしたぁ。なんとか逃げてきましたぁ」
「よ、よかったねぇ、」
ぼくはそれしか言えなかった。
「あの~、教材はやっぱり無理でしょうかぁ?流れちゃってぇ。」
「どこに送ったらいい?お母さん!いいよいいよ送ってあげるからね、いいよ
いいよ。」
「もとの住所に送ってくれたら避難所に届きますからぁ。避難所で娘と勉強しま
す。」
「余震、ヒドいでしょう?寒くないかい?食事は?娘さん元気してる?」
「2人で頑張ってますぅ。あっ、じゃぁ、電源もったいないからぁ。」

 ぼくはこの親子の人生に関われたことに感謝したいと思う。
なんとかこの親子が幸福になれるようここで祈ろうと思う。
あの時「もっとあなたが強くならないと!」と、ぼくは不登校の子供の母親を
叱った。なにを言ってるかHOBOさんよ!この母は強い。強過ぎる!
あの薄暗い避難所で!あの薄ら寒い避難所で!あの汗臭い避難所で!
この母は子供と勉強すると言った。いまこの人生最大の不都合の中で、母と子
の絆を取り戻すと言った。ぼくはただ泣いた。震えがとまらない膝をおさえな
がら、ぼくは泣いた。


HOBO
営業マンは職業じゃない、生き方だ。
 最近、どこを見ても黒ブチの眼鏡をかけている人だらけで、黒ブチ眼鏡愛好家
HOBOとしてはすこし戸惑う反面、しめしめと笑っちゃう毎日。ベーシックを身
につけることの面白さを知っている人は本当の洒落者、誰でも似合うと思ったら
大間違い、みょうにデカイ黒い眼鏡を鼻にかけおどけているしゃくれ顔の芸人と
か、街中が黒ブチ眼鏡であふれている。地下鉄の駅のベンチで酔っぱらって寝て
いる情けない営業マンよ!黒ブチ眼鏡が泣いている。仕事のできる営業マンはそ
んな所で寝ちゃダメだ。営業マンは職業じゃない、生き方だ!

 70年代のヒッピーと呼ばれる若者なんかの写真を見るととても大きなセルの
眼鏡をかけている。カットしたリーバイスにナイキをはいて、ラガーシャツにデ
イパックを背負ったり、いま見てもカッコいい。たとえば映画の中のウディアレ
ンはヨレヨレのツィードジャケットにチノをはいていた。けしてリッチな感じで
はないが黒ブチのウエリントンがよく似合う。たとえばブルース•スプリングステ
ィーンがショットのワンスターを着て短くロールアップした501にウエスコの
ブーツをはいている写真を見たことがあるが、やはり黒ブチのレイバンをかけて
いた。ハンパじゃなくカッコいい。ジェイムス•ディーンもJFKのケビン•コスナー
もエリック•クラプトンも古いジャズメンも、みんな黒ブチのウエリントンやボ
ストンの眼鏡をかけている。生き方のある男はカッコいいのだ。顔は生き方が作
るもの。

 世の中の営業マンよ!もっと自信をもってくれ!アメリカじゃ医者や弁護士と
同じくらい営業マンは尊敬されるらしい。がっぽり稼いでトラディショナルを着て
ほしいな。エッティンガーのサドルレザーのブリーフを持ち、段返りのツイード
を着よう。隊の数だけレジメンを持ち、だぶついたアゴをひきしめてボタンダウン
の似合う男になろうじゃないか!眼鏡はね、顔の上に乗っかるモノなんよ。毎日
替えなきゃ。売って売って売りまくれ!モノを売るんじゃねえ!生き方を売るンダ
よ!営業マンは職業じゃない!生き方だ!


HOBO


追伸

そうだなあ、
最近は丸いセルフレームに凝ってますねぇ。
カトラー&グロスやジャック•デュラン。Vue dcの眼鏡にぞっこんです。
ウエリントンだと、
やはりオリバー•ゴールドスミスのVice Consulが一番かなぁ。
毎日眼鏡を替えると気分が変わるよ。
顔の上で遊んだほうがいいよ。
そしたら
もっと売れる営業マンになれるよ。
そう思うよ、
ホントだよ。
考えるチカラ。
 来年度から中学校の教科書が改訂になるということで、各新聞社はその変更内容
を3月31日の朝刊で発表した。ここでは内容について触れることをしないが、要
するに『考える力』をつけさせようとする文科省のねらいがはっきりとわかった。
 言われたことしかできない子供たちが増え、『考える力』こそが教育の原点と
でも言うように教科書を30%から50%も分厚くするらしい。問題を解かせる前
になぜそうなるのかを子供たちに考えさせるような教育、素晴らしいじゃないの。
 ぼくがいつも生徒たちに「なぜ?ナゼ?何故?」としつこく問いただすものだか
ら生徒たちにぼくは人気がないのだと思う。答えがあるということは必ずそこに至
る過程がある。ぼくはそれにこだわりたいのだ。デジタルな時代だから『なぜ』を
吟味しなくても答えを容易に出すことができてしまう。携帯でピョンっと変換して
しまえばどんなに難しい字でも書けたり読めたりしてしまうのだから。
 学力は『考える力』そのものなのか。確かに自学自習(予習復習)なくして授業
の理解は望めない。こつこつ努力のできない子供は社会ではきっと使えないだろう。
「どうして?」と訊いてもすぐ「わからない」という。まず「わからない」と言っ
てしまい考えようとしない子がとても多いのだ。「そんなめんどうなことどうだっ
ていい。」「くどい!」「うざい!」だって。 ほら、よく「わたしは口べただか
ら」とか、「文章を書くのが苦手なんです」とか言うじゃないですか?ちがうな、
それは。何も考えていないから、普段から問題意識を持って考えをまとめていない
から書けない。書く能力の問題ではない。文章が下手でも言いたいことは伝わるの
だ。

 教科書が変わっても子供の学力はさほど上がらないと思うな。もともとゆとり教
育とは自主性の中から考える力をつけようというネライからできた発想のはず。な
のにいっこうに成果が出ず。それどころか何も考えない電卓頭の子供たちが出来上
がったのだ。いくら学校で少し厚くなった教科書を使い、いくら教員が導いていこ
うとする情熱を抱いても、子供たちの親たちのこころの教科書を変えないかぎり、
ぎゃくに駄目になるような気がするな。「ほら、見ろ!」とか「どうしてくれるん
ですか?」とか「今の先生たちは困ったものです!」とか。まるで他人事のように
。ちがうと思いますよ、ぼくは。『考える力』は親が子供につけてあげるもの。
ベースになるものは親が教育するもの。学校というものはそれを手助けするところ
だと考えるべきだな。ちがうだろうか? 小さい頃から家庭学習の習慣をつけてあ
げてほしい。食事が済んだあと、みんな居間に集まり子供の教科書をひろげ、「あ
あでもな、こうでもない」と、語り合ってほしい。「ねえ、どうしてこうなるのか
なあ?」「あっ、これ? これねえ、こうだからこう、だからこうなるんだよ」っ
て。どうしてこうなるのか子供に常に問いかける。そしてぎこちなく喋る子供たち
の説明を「そうか、すごいすごい」と言って褒めてあげる。今ほど便利じゃなかっ
た昔。みんな過程を重んじ結果を出した。だから結果に感動できたし出来上がった
ものを大切にするようになるのだ。過程を重んじることなく、すぐ結果を求める今
の子供たちは可哀想だな。結果がでないとすぐ「つまんない!」と言ってあきらめ
てしまう。辛抱ができない。「この会社はぼくに合わない。」そんなことを言って
辞めてしまう新入社員が多いと聞く。お前に合う会社などないんだよ!

 厚くなった教科書を持って歩くのは辛いな。あと何年この仕事ができるのかな?
本気で『HOBO 珈琲研究所』をやりたくなった。ちょっとぼくは疲れたんだ。高い
教材をただ買い与えるのではなく、ただ塾に通わせるのではなく、そうだな、『家
庭学習』いや、『過程学習』の習慣を親が子供につけさせる。親が子の何倍も学習
しなければ!


HOBO
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