Mr.HOBO
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
途上にある純情の香りとは?
 まだまだ寒い日が続きますね。雪が多いですね、今年は。
ぼくの会社は大通り公園の近くにありますから雪祭りなんかすぐなのに
行ったこともないんですね。よさこいソーランも。なんかこう、祭りごとが
好きじゃないというか、人混みが淋しいというか、そうですね、ぼくは人混み
が淋しいんです。大勢の中の『ぼく』がものすごくヒヨワに見える、ひ弱というか
ちっぽけに感じるんですね、そう、ちっぽけなんですわ。祭りごとの混雑と日々の
雑踏とはニュアンスがちがいますが、まだぼくの住む札幌はぼくの故郷とは呼べず、
故郷とはちがう他人行儀が淋しさのルーツなのかなと考えたりします。

 52歳のぼくは今日も生きていて、おそらく明日もあさっても生きているのかなと
思いますね。52歳の青春はずいぶんと太り、モノばかりが増えていく。モノと同時
に頭の地肌の面積も増えたりして苦笑いの毎日です。エレベーターの中で出会う50代
の男は大抵、臭い。とても臭いのです。いつまでも爽やかな香りをふりまいて、
HOBO、生きていたいと思いますね。おそらく爽やかな香りというのは人の思想に
付着するものだと思いますから決して後ろ向きにならず、前を向いて!なんて、
この発想自体が臭い、臭いのです。
 イキガっているオヤジは許せないほど香水をつけて、寒空のはるか向こうまで香る
趣味の悪さです。香りの主張はむずかしく、好みの押しつけはとてもアブナい。
上着の繊維の間に染み付いたニコチンの香りはオヤジの勲章か、それに混じる頭髪料
の香り、さらに甘すぎる香りを付着させるのは犯罪行為に等しいのではと思います。
先日も寿司屋でちょいとつまんでいたら隣にいきがったオヤジが座り込んできましてね。
まずはやはりタバコを吸いましてビールで一杯、おまけに目にしみるぐらい臭いのですわ、
香水がです。ぼくの食事タイムがもう台無しですね、この無神経さに。この無礼者が!

 HOBOの好きな香りですが、エルメスの『オードランジュヴェルト』、ペンハリガン
の『ブレナムブーケ』、4711の『オリジナル』、この3つはとても素晴らしい
香りがしますね、いずれもコロンです。好みのモンダイですが、大好きですね。男の
香水についてはとても難しいとは思いますがつける量なのでしょうか、場所なのでしょ
うか、良質な石けんのような香りこそが青春の香りなのかと。オヤジと香水、ん~、
難しい取り組みではあります。

 50歳を過ぎてから輝ける男になりたいと思いますね。差がでるんですよ、この
時期に。努力も確かに必要だけれど、40代までに積み重なった自信が男の顔を創るの
でしょうね。いくら金があっても男はオチャメじゃないと駄目。オチャメとヤンチャは
似ているようで違うかな?大人のヤンチャはなんか少しいい加減な感じがします。
オチャメはなんかこう言いようのない『純情』を感じますね。
52歳の純情は儚い夢の途上にある。少年のころの夢を、ぼくはまだ抱きしめているの
です。あ、ハイ。


HOBO
スポンサーサイト
誰かのこころの中で生きてみたい。
 国中がタイガーマスクの善意に泪。まだまだ日本も捨てたもんじゃないのかなと
、日曜の朝、この記事を書いています。世の中には素直な人もいればねじ曲がった
人もいます。善意を魂胆としかとれない人や善意の価値も当たり前と考える人もい
ますから、ただ言えることはぼくならいくらお金があってもランドセルを買ったり
なにかプレゼントをしたりはしないだろうと思います。まあ、お金の問題じゃなく
、『こころ』の問題、ぼくはこころが貧しい、なにか、こう、恵まれない人に情け
をかけるようで、そんなことしか考えられないHOBOですから『こころ』が貧しい
というか、卑しいというか、恥ずかしいです、HOBO。

 母はぼくに恥ずかしい思いはさせまいとガンンバッて働きました。母子家庭でし
たからね。革のランドセルを買ってくれたんですよ。高いものというより、長持ち
するものという考え方、6年間も持つものですからね。クラリーノがほとんどでし
たからうれしかったですね、重かったけど。でもぼくはそのことで5年生のころだ
ったかな?かなり文句を言った記憶があるのです。革のランドセルは古くなると味
がでてきますが、その『味』が子供にはわからない。ペタンコになって、色もはげ
落ち、ランドセルのフタが外側にはねあがり、みんな「じじいのランドセル」とか
、「貧乏くせぇ」とか、馬鹿にされましたよ。クラリーノのランドセルはいつまで
もパンっとして古い感じがしない。あこがれましたね、クラリーノに。

 『想い』がつまったものは大切にしたほうがいいな。想いは金では買えないもの
。こころを受け取るということ。想いに泪するということ。親であれ子であれ、想
いは宝物だ。忘れてはいけないもの。ぼくのランドセルはどこにいったのだろう?
ペタンコなじじいのランドセル、貧乏くさいランドセル。母の想いがつまったラン
ドセル。クラリーノが欲しいとダダをこねた少年HOBO、困った顔の母。もう勉強
なんかしない!と泣きじゃくるHOBO。ランドセルは古くなるが想い出は決して古
くならない。古ぼけたりしないのだ。想えば想うほど光輝くもの、それが想い出。
施設にランドセルは贈れないけど、ぼくは身の周りにいる愛すべき人たちのために
曲を作ることにした。こころは色あせたりしない。なら、ぼくがいなくなってもぼ
くの曲は誰かの心の中で生き続けるだろう。歌はぼくそのもの。嘘がないもの。ぼ
くは誰かのこころの中で生きてみたい。


HOBO
胸が痛い。
 男はね、弱虫だし情けないし寂しがりやなんですね。だから、仕事がうまくい
ったらすぐ好きな人に電話をして褒めてもらいたいしできれば頭を撫でてもらい
たいのです。「よくやったね!凄いスゴい、頑張ったね!」って。褒めてもらっ
たらそりゃあもう有頂天ですねん。また頑張っちゃうもんね。
 ぼくは好きな女の手のひらでコロコロ転がってぶひぶひってまるで赤ん坊のよ
うな。ぼくは尻にしかれる男は男らしいと思うのですよ。男が強くなるのは仕事
をしているときだけでいいと思う。あとはぶひぶひでいいと思いますよ。男は女
より弱いんですから力は仕事で発揮すればいいのです。想われれば想うようにな
る、そうなんですよ。

 憂歌団の木村さんが酒場で唄っている映像をみつけました。みんな出来上がっ
ていてご機嫌よろしい顔。関西のブルースなおじさんおばさんがいい感じの空間
を作っています。ひとりだけ帰る支度をしていて帰れないようなオバさんがいま
すね。ウケます。男は弱いんですね。どもそれを支える女が男を強くするのかぁ
と感じます。歌っていいなぁと思いますね。



無言の叱咤を。
 こだわればきりがないからなにごとも。作品の価値を決めるのは誰なんで
しょうかね?アーティストと呼ばれる人はとても自分に厳しくて。

 ぼくの周りに人がいなくなってしまうとやはり寂しいな。らしくなくてもらしく
ないままの作品が自然なんだと思うし、そんな未完成が人間なんだと思うのです。
ブログは続けなきゃ意味がないんだ。なにかほかのことをやるから休むようじゃ
意味がないんだ。ぼくはいまだかつて自分の作品に満足をしたことがないんですね。
煮詰まってこんなブログ止めようかと考えたこともありますよ、そりゃあ。
言葉も足りないし、思考も浅い。でもしょうがない。自分は低いんだからと作品の
中でまた解決しようと努力する。休暇は必要ですよ。そりゃあ必要ですよ。
でも寂しいですよ。ぼくはがんばれなんて言えませんね。しゃくで。
ぼくがヘタっているときに言葉で勇気づけてくれる人もいましたよ。でもぼくは
訪問履歴にいつもある優しさのほうが力になったし、無言の叱咤とでも言うんでしょうか、
ぼくは無言の叱咤になりたいと思います。やはり自分に跳ね返ってくる言葉に
期待してるんでしょうかね、どこか、ぼくも。でもちがうな。


 ぼくは休むなら黙って休んでるほうがいいと思うな。「ああ、何か思うところが
あるんだろうな?」と考える。でもまた次の作品でデカくなる親しみがあるから
好きで好きでしかたなくなる。ぼくはそんなアプローチに期待する。これは
ぼく自身のトライであって誰かのことを言っているのではないのです。休まないほうが
いいと思う。休まないでほしい。休むべきではない。充電は書きながらするべきだ。
寂しいです、ぼくは。あなたがいないと寂しいんですよ。


HOBO
BRIEFINGのカバンに夢中デス!
 まあ、あくまでも個人的なサイトなので趣味も自分勝手でごめんなさい。
まえの記事でピーコートとダッフルコートのことに触れましたが皆さんあま
りご興味ないようなので次の話題にいくことにしました。
『BRIEFING』というカバンは良いですねぇ。何が良いのかは触れませんが
とにかくビックリしましたわ、良くて。また、それが頑固な作りで機能的で
言う事ないんですわ、ホンマに。カジュアルよし、ビジネスよし、申し訳ない
が、吉田カバンはもう持つ事はないんだろうなと、HOBO思いましたもん。
ミリタリーやアメカジ、トラッドの好きな人はもうご存知でしょうが、趣味が
いいというか、お洒落ですねぇ、このメーカー。TUMIなんかよりいいんじゃ
ないかなぁ。


HOBO
洒落者の極みとは?
 ピーコートはカッコいいと思うな。まるでダンボの耳のようにでかい襟を
もつピーコートが好きで好きでたまらない。分厚いメルトンの風合いと、デ
ニムやチノの相性はバツグンで、古いゼロハリバートンなんかをぶら下げて
歩くと我ながら納得の図なのだ。色々なメーカーからたくさんのピーコート
が発売されているが、やはり米国ショット社のものが雰囲気だと思う。官給
品と同じ再生ウールを使用しているので、温かく、そしてなにより安価なの
がうれしい。

 ダッフルコートも素敵だと思うな。とくにグロヴァオールのモンティがい
い。ピーコートは胸で着るという感じだが、ダッフルは肩から吊るすように
ダボっと着た方がカッコいい。最近はみんなタイトに着ているようだが、こ
のモンティはワンサイズ大きく、まあ、それぐらいのガタイがなければ着れ
ないコートなのかも知れないが。キャメル色の分厚いモンティを着てポプラ
の並木でも歩いてみたいな。きらきら光る朝の並木は気持いい。空を眺めて
いるだけで笑っちゃうぐらい幸福な気分になれるのだ。

 じつは、そのピーコートやダッフルにとても似合うモノがあるんだな。ニ
ットのワッチキャップだ。ダッフルには野球帽も似合うが野球帽だと花園ラ
グビー場で観戦するフアンのようになってしまう。やはりダッフルやピーコ
ートにはワッチキャップ、できれば英国製のザクっと編みこまれたものがい
いのだ。小物使いが楽しいのは洒落者の極み、そして白山眼鏡のボストンで
極めればもうなにも言うことはない。そうだな、髭はあったほうがいい。白
髪が混じった髭ならなおいいんだと。

 

HOBO
売れればいいという考え方だからこうなったんだよ。
 年も明けてしまいましたね、おめでとうございま~す!まあ、どんな年に
なるのか、ぼくはべつになにも変わらずどうせ仕事ばかりしているんだと思
いますね。流れるというかそうならなければ残れないというか、2011年
は、ちきしょうめ、やりたいことはあるんだがなあ!子供のころのように、
学年が増していく緊張感があるとか、大人になりたいと願う夢があるとか、
年越しというものはでかいイベントだったように思う。家族のみんなも、7
時からはレコード大賞、それが終わってから紅白歌合戦、除夜の鐘をみんな
で聴いてゆく年くる年。こんな感じで新しい年を迎え、「もう寝なさいよ!」
と母に言われ「あ~あ、おやすみ」みたいな。でしたよねぇ?

 じつはもう何年も『日本レコード大賞』も『紅白歌合戦』も観てないんで
すよ。なんか変なんで。まあ、ぼくはとても偏屈なんで偏った意見しかのべ
ることができませんがね、でも、変なんですよ、とても。変だと思いますよ
、ぼくは。この国が豊かになり始めてからですよ、実は豊かなんかじゃない
んですがね、なにも。モノが溢れ出して何不自由のない生活をし、麻痺した
んだと思いますよ、『本質』を追求することが。何もないですからね、この
国。売れればいいんですもの。何だっていいんですよ、売れれば。モノを見
る眼がないというか、騙されやすいというか、ブームに乗っかりやすいとい
うか。相撲といえば相撲、サッカーといえばサッカー、なんでもいいんです
よ、流行ってれば。それに乗っかれば自分もまんざらじゃないみたいな。ま
あ、多数派に寄っていれば安心ですしね。政治でもなんでもそうですから。
MADE IN JAPANはろくなもんじゃないと思いますよ。すみませんね、偏っ
た意見でね。叱咤しているつもりなんですよ、これでもぼくも日本人ですか
ら。例えば、ほら、車にしても日本車っていいじゃないですか?故障しない
し、装備もばっちし、燃費もグーっ!ですからね。道具としてみれば便利で
すよ、ほんとにね。ぼくなんかも年間、10万キロも走るのでホントは日本
車の1300ccくらいのがいいんだと思いますね、本気で。でもぼくはそう
しない。年間10万キロも車の中にいるのですから楽しくなければ意味がな
い。好きな相手と暮らさなきゃイヤですから。車はね、いや、車じゃなくて
も『モノ』というものは壊れたら直して(治して)使うんですよ。だから愛
着がわくのです。HOBOの持っているギターも万年筆もダッフルコートもカ
バンも靴も、すべて修理して使ってますよ。良いモノというのは修理が効く
ように創られているんですね、だから値がはるんでしょうね。そして何より
、本当に良いモノには人のこころが入り込む隙間があるんですよ。

 『歌』とか『芸』というものは、時がたっても色褪せたりしないものなん
です。それどころか、本物は古くなればなるほど光り輝くものなんですよ。
新しいモノはどんどんできて、中古市場に山のように積み重なった処分在庫
には眼もくれない。二束三文ですよ、当然、価値などない。人間もそうなん
でしょうかね?身体が動くうちはいい、重宝され、身体がいうことを効かな
くなるとポイ捨てですか?欧米などでは50歳を過ぎてデビューする歌手も
いるとききます。いいものはいいと判断する人がたくさんいるということで
す。だれがなんと言おうとね。
 二葉百合子さんが3月に引退するそうです。二葉さんは1931年生まれ
の79歳、ぼくの母と同い年。母は「もったいないねぇ、こんなに声が出る
のにねぇ」と久々の自宅のテレビをみながらそう呟きました。歌はこころで
唄うもの、ほんとにそう思います。いいものはいいのです。ぼくはテレビの
中で涙をうかべながら唄う二葉さんのことをホントに凄いと思いました。こ
ればブルースだ!ブルースなんだと!二葉さんが引退しても『岸壁の母』は
色褪せない。色褪せたりなんかしないのです。

 どうでしょう?
今の歌がいいとか悪いとかそんなことを言ってるのではありません。ただ懐
かしいだけの想い出の歌なんかではなく、こころを揺さぶるような魂の歌を
創りませんか?それは創り手だけではなく聴き手の素晴らしい耳と、本当に
良いモノにしか金は使わないぞ!という頑固なポリシーを日本中の常識にす
ることですね。ですから本当に素晴らしい人にしか投票しないことです。投
票したり買うという行為はある意味『責任』を買うこと。ただ売れればいい
、飽きたら捨ててまた新しいモノを買えばいい。ダメですよ!それじゃ!古
くなっても色褪せないもの、古くなればなるほど光り輝くもの、人のこころ
に触れていこうじゃあ~りませんか! がははは!

 母さん!永生きしてやっ!


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。